佐藤 春夫

 その男はまるで仙人のように「神聖なうす汚なさ」を持っていました。指の爪がみんな七八分も延びているのです。それがしきりとわたしに白孔雀の雛を買えとすすめるのですから、わたしはお伽噺みたようなその夜の空気がへんに気に入ってしまったのです。そうしてわたしはつい一言、そんな高価なものを買ってもいいようなことを言ってしまったのです。が、いいあんばいに先方の値とわたしの値とは倍以上も違ったものだから、まるでお話にも何もならずにしまったのです。それでこの話はおじゃんになったのですが、しかし小鳥屋の才取をするこの仙人は、わたしに鳥を売りつけようという考は思いきらなかったものと見えます。一週間ばかりして今度はわたしに鸚鵡を買えとすすめて来たのです。
 仙人は初めこの鳥を持って来て、これを紹介しました――十やそこらは完全に口を利く。それの発音は明確で微妙である。その上に何だかわからないが長いこと喋りもする。歌は「ハトポッポ、ハトポッポ」とそれだけしか歌えないけれども、その調子の自然なところが、この鳥の有望なところだ。まだ三歳ぐらいな若鳥だと思うから仕込みさえすれば、童謡の一つぐらいは完全に歌うだろう。この鳥の名は「ロオラ」というのだ……と、そこで「仙人」はわたしのうちの女中にビスケットを買って来させて、それを鳥に見せながら言うのです。

 今朝、室生君からの手紙を枕頭に受け取つて、まだ起きもせずに開いて見ると、忘春詩集に序を書けといふのである。読みながら第一に私が思ひ浮べたことは或る会話である。それはつい一週間も前に私を訪ねた或る人と私とが取交したものである。――
「この間、室生氏のところへ行つて、悪い嗜みだとは思つたが直接にあの人の詩をほめたら、僕の詩をほめるのはお前の小説には感心出来ないといふことの代りぢやないかねと室生氏に言はれましたが、そんな悪い智慧をつけたのはあなたぢやありませんか。」
「いや。僕は室生君にそんなことを言つた覚えはない。――が、待ち給へ。僕は五月ごろに彼に逢つた時に『新潮』に出た彼の詩の新作を三嘆して、あれこそ本当に君のものだ。君の小説の全部を見るよりもあの詩のなかのどの一篇をでも見た方が一層親しく君に接するとさへ思ふ。――とさう言つたことは思ひ出す。僕は必らずしもその小説を貶めるつもりではなかつたのに、室生君は自分に考へて見て或はさういふ風に解したのかも知れない。」
 私は本当にさうかも知れないと思つて、それにしても室生君が私のごとき者の一語をもそれほど気にとめて居てくれることを有難く思つた。

 私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい軽羅をのみ纏ふて今、彼一人の爽かな径を行つてゐる。
 他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、より恥しくない子供だけを育て上げてゐる。彼のと異つた芸術を要求することは固より許されよう。彼のにまさつて完全なる(或は完全に近い)芸術といふものは、たやすく現代の世界に見出されないであらう。
 彼の芸術は、詩に於て最も彼らしきところを、最も完全なるところを示してゐる。
 今の詩壇に対する彼の詩は、余りにも渾然たるが故に古典的時代錯誤であり、余りにも溌溂たるが故に未来派的時代錯誤であることを免れない。
 嗚呼、この心憎き、羨望すべき時代錯誤よ。時代錯誤の麟鳳よ。永久に詩人的なるものよ。
『永久に詩人的なるもの』私達の友人よ、ねがはくは彼によりて、彼を取りまける総ての者が、詩の天上にまで引きあげられて行くことを。